発見塾講座報告「野積み探訪」1;平安のロマンへ
6月6日 八尾町旧町から真南へ広がる野積地区を訪ねました。
野積四谷(のづみよたん)といわれ、歴史がたいへんに古いところであるということは、かねてから聞いていましたので、どんな話が聞けるか、ワクワクの小旅行です。
朝、9時には観光会館前に集合完了。応募者多数で、お断りするしかなかった方もたくさんおられたそうで、申し訳ありませんでした。
お天気に恵まれ、少し、汗ばむほどです。
開会のあいさつの後、それぞれ車に分乗して、いよいよ出発です。

目的地への道すがら、農作業に精を出す人たちが、顔を上げて見送ってくださいます。車十数台も連ねて、いったい何事かと思われたのでしょう、ちょっと珍しい光景でしたね、たぶん。

第一目的地、紫野社に到着。愛嬌のある狛犬が迎えてくれました。神社の屋根にはやはり梅鉢の紋。
道から見上げる小高い森にあって、少し、肌寒くさえあります。
紫野社=しのしゃ と読みます。
むらさきの と 読む地名は全国に何か所かあるそうですが、しの と 読むのは、ここ野積と近くの乗峰(のりみね)というところ二か所しかないそうです。
この日の参加者のために、草刈りなどして待っていてくださったお二人、住本さん(写真の上段中央)と上野さん(右)。紫野社に伝わるお宝を見せてくださいました。
「明治45年再筆(重要なことを書き写したということ)」と書いてある錠箱です。
文章の内容は、「建永二(1207年)九月二十四日 布谷・紫野社拝殿建立」建立した人は「三ツ松村五左衛門渡辺長綱」とあるそうです。
この内容が本当であれば、平安時代末期に野積谷にあって、紫野社を建立した渡辺長綱という方がかの有名な「渡辺綱」の子孫ではないかという平安ロマンが、ここに生まれてくるわけです。昔々の平安時代にすでに、野積谷で、八尾の祖先が生活していたなんて!!
渡辺綱は、平安時代の藤原氏全盛期・藤原道長の時代の人で、源頼光の四天王の筆頭であり、大江山の酒呑童子退治や、京都にある一条戻り橋で鬼の腕を切り落としたという武勇伝で有名です。

講師の宮本さん(左) 平安のロマンを証すお宝(明治に再筆)
紫野社の奥の社は、小ぶりながらも、見事な彫り物です。一見の価値あり!八尾曳山の彫刻と全く同じ図柄があると言われて、戻って確認してきました(下の右)。うん!確かに!
紫野社を後に、渡辺家の家紋のある墓石、渡辺家屋敷跡、烏天狗の祠と見て回り、宮本講師の熱い語りは続きます。


大切に守られている烏天狗の祠には二人というか・・二羽・・なんと数えるのでしょう・・それぞれに羽をひろげて、履物を履いている人、裸足の人。
烏天狗は、京都の鞍馬山で牛若丸に剣術を教えたといわれており、山岳修験者がモデルともいわれています。野積のこの烏天狗の木像が祀られたころは、自然の脅威が身近にあって信仰の対象になっていたのでしょう。どのような思いをこめて、お参りされていたのでしょうか。

写真は、祠を興味しんしんで見つめる人の顔顔顔・・・。
渡辺家開墾跡地といわれる菖蒲田まで足を伸ばしたところで、ひとまず、渡辺家を離れます。
野積地区の最奥、猟師ヶ原の発電所へ向かいました。
(次回へつづく)<文;ゆすらうめ、写真;ゆすらうめ・IT寅さん>