曳山祭り──町民文化の華;男衆の誇りと力わざの凝集
5月3日、八尾の曳山祭りの日は朝が早い。まだ明けきらぬ午前3時や4時には、もう若い衆が動き出すということだ。軟弱な私は今年も起きられなかった。
長いこと守り伝えられてきたこの祭りは、男衆の手によって何日も前から準備されている。百数十年もの間、同じ儀式を繰り返し、今年も無事当日を迎えた。幸いなことに、今年の連休は好天続き!祭り当日の2日前(5月1日)には、曳山の状態や最終的なチェックをする「調曳き」(ちょうびき)が行われるが、両日とも快晴だった。
祭りは、まず神輿(みこし)が通る道を露払いするために、鏡町(かがみまち)の獅子が下新町にある八幡社を出る(そもそもは下新町八幡社の春の祭礼)。そして、途中の今町や聞名寺(もんみょうじ)を通り、東町、諏訪町、東新町の順に、坂の町を登っていく。
6基が勢揃いして、出発を待つ
東町で獅子の笛太鼓が聞こえるころ、今町公民館の前では町の人たちが神主さんのお祓いを受け、各町の役員同士が神輿を引き渡し、聞名寺では勢ぞろいしていた六町六基の曳山がゆっくりと動き出した。江戸期の八尾町民文化の凝縮が幕を開ける。
町の人たちは獅子に悪霊を払ってもらい、神様を拝んだ後、曳山が家の前に来るのを待つ。そして一年ぶりの彫り物を眺め、若衆に声援を送り、あちこちで挨拶をかわし、木のきしみと曳山ばやしを聞く。実にゆっくりと一日が流れてゆくのだ。
しかし、元気な子供たちには退屈な時間になることもある。 曳山がなかなか動かない──五月なのに今日は暑い。女の子たちもいる!昔は、女は曳山に近づくこともできなかったのに・・・。
待ちくたびれた子供たち。「暑いよぅ、眠いよぅ」
東新町は坂の町の最も高いところ。お昼の休憩を終えた曳山が、ゆっくりと登ってくる。白い石畳の向こうから、曳山の赤茶色い屋根が見え始め、錦絵が徐々に姿を現して音もなく近づいてくる。やがて聞こえる太鼓と掛け声。ほんとうにいい祭りだ。
しかし優雅な思いは見ているものだけ。獅子を舞わすもの、曳山を曳くものは大変なご苦労である。特に、東新町の狭い角を回ってゆくのは祭り最大の見せ場ともなる。町内のみんなの心が一つにならなければうまくゆかない。けが人も出かねない。誰もかれも真剣なまなざしで力を振り絞る。みんなみんなとってもカッコイイ!!思わず、一緒に声をかけて力んでしまう。
男衆の見せ場。樫の木の車輪が激しく唸りをあげ、山車全体が軋んで迫力満点
紋付きはかま姿の役員に守られながら、六基の曳山は、西新町へと降りていった。きしみの音をさせて、傾きながら、大きく揺れながら・・。揺れても決して壊れない、曳山を作った人はたいしたものである。耐震構造というものをすでに確立している!
日がな一日をかけて八幡社へ戻った曳山は、暗くなったころに全身を提灯(ちょうちん)で包み、「提灯山」となってまた、自分たちの町へと坂の町を帰ってゆく。
夜になって提灯を全身にまとった山車。灯りが揺れて美しい
昼間の暑さは和らいで、寒いくらいになったが、男衆たちはさぞ疲れていることだろう。早く帰って休みたいだろうと思いきや、各町に帰った曳山は行きつ戻りつ、いつまでも掛け声が名残惜しげに響き渡る。
最後の力を振り絞っての「角回し」
祭りという名のこの高揚感は不思議なものだといつも思う。
やがて、「おきんさ」という囃子で神様は曳山から公民館の定位置へ。
また、神前囃子が始まった。そのあとは、たぶん神前での宴。祭りの火照りをさましながら、力を出し切った一日を振り返る…。
明日はまた早くから片付けが待っている。 <文・写真;ゆすらうめ/写真;森人>
◆<注>;曳山祭りについての詳細は、八尾ふるさと発見塾HP(ホームページ;右のリンク先か、表紙トップ右上をクリック)の「やつお歴史・文化のおと」のコーナーを参照してください。また、同じHPの「おわら風の盆のおと」のコーナーの「5月初夏の花」にも、曳山祭りのことが書かれています。
6基が勢揃いして、出発を待つ
待ちくたびれた子供たち。「暑いよぅ、眠いよぅ」
男衆の見せ場。樫の木の車輪が激しく唸りをあげ、山車全体が軋んで迫力満点
夜になって提灯を全身にまとった山車。灯りが揺れて美しい
最後の力を振り絞っての「角回し」