風の盆おわらが終わって・・・

今年の夏は ほんとうに暑い!

またまた 残暑も厳しくて おわらが終わったのに どうしたんでしょう・・・

ほとんど 雨もなくて 大きな混乱もなくて よかったですが

三日の人の多さは いったいどうなん!!ていいたいほど

人の熱気で ちっとも 秋風が吹かないーーー

熱中症になった人も いたと思いますが よく 中止にもならず みんな がんばったねぇー

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これから ケーブルテレビなどで 風の盆の様子がよく放送されることと思いますが

暑さとつかれで どんな格好になっているのだろうと 怖くもあり 楽しくもあり・・・

また いろんな 反省会と名のつく飲み会があちこちで 繰り広げられることです

<写真提供;きさらぎ ふぅ >

update: 2010/09/06 ,

快挙!八尾町の工務店が日本建築学会文化賞を受賞

仕事の関係で、このおめでたい出来事を知りました。

受賞からは 少し日が経ってしまって 新着ニュースとはいきませんが 遅ればせながらご紹介します。

日本建築学会の文化賞を「八匠」(注)の石原さんが受賞されました。

 ●(注)「有限責任中間法人 八匠」とは、平成元年10月、八尾の大工棟梁・工務店16社、建築設計事務所5社が集まって、匠の会「八匠」 が結成され、平成10年に再結成された団体です。文化と伝統を受け継ぐ、平成17年度都市景観大賞「美しいまちなみ大賞」を受賞しました。石原建築社長の石原さんが理事長を務め、八尾型住宅の建築に関する高い技術力を生かし、八尾型住宅の普及と町並み整備を推進するため活動を行っています。

日本全国から 三人の方が受賞され そのうちの一人が石原さんです。

八尾町が おわらの観光だけでなく 多角的に評価されるのは とても素晴らしくて、うれしい。

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石原建築のHPでは、「八尾の景観」について次のように述べています。http://www.ishiharakenchiku.com/blog/

八尾の景観

住まいの価値を考えるとき、景観も要素の1つです。街との調和を考えられた住まいは美しい景観を生み、住んでいて愛着が湧き、資産価値も高めます。
八尾町には気候風土に適した、伝統的な八尾型住宅が立ち並び、美しい景観を作り出しています。中でも、「諏訪町本通」は、「日本の道百選」に選ばれています。
実は、この美しい街並の伝統的な町屋建築は失われた時期もありました。しかし、住民の八尾に対する熱い純粋な想いが、この街並みを蘇らせました。八尾の町並みの美しさや、どこかほっとするのは、八尾を大切に思う住民たちの思いがこもっているからではないでしょうか。

本当に、私の八尾の町並みに対する思いも、この通りです。

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ついでに、より専門的な立場からの「八尾の町並み」に対する評価も紹介しておきます。

日本建築学会のホームページからの引用ですが、住民の気持ちも含めて、

とてもよくまとまっていますので、紹介させていただきます。<ゆすらうめ>

---<以下、日本建築学会の評価ポイントです>-----

富山県富山市八尾町における伝統的な木造建築技術を生かした

 建築文化の振興と歴史的町並み修景貢献     石 原 博 殿

 富山県富山市にある八尾町は、「おわら風の盆」で有名な民謡と踊り、「曳山祭」などの多彩な伝統行事を生活の中に活かし続けている町である。こうした生活が名刹聞名寺の門前町として藩政時代から栄えた伝統的な歴史的町並みのなかで営まれて来たわけだが、1980年代にはこの歴史的町並みの景観が住宅の現代化によって崩れていく傾向が強くなって来たのである。 これに危機感を抱いた町(当時は婦負郡八尾町で独立の自治体であった)は、建設省が推進していたその土地々々の文化や歴史、風土の特性を生かした良好な住宅市街地を創出し、地域文化と地域住宅生産の育成を行うという「HOPEHousing with Proper Environment)計画」に応募して採択され、1986年から「八尾町HOPE計画」を実行するに至ったのである。当然この計画は歴史的町並み景観の維持や修景ということを含むものであった。そうしてこの実行にあたって中心的な役割を果たしたのが地元の建築業を営む人たちであり、こうした人たち、大工棟梁・工務店16社、設計事務所5社によって1989年に自らの運動体として結成されたのが「八匠」である。

 「八匠」が推進したのは黒瓦の屋根、登り梁、出桁構造、深い出を持つ軒、白漆喰壁、格子戸などの伝統工法、伝統的意匠による八尾町の歴史的景観と調和した現代的な家づくりである。「上野かざみ台団地」をこの八尾型伝統工法モデル住宅群として建設し、町民に実例を示し体験して貰うとともに、こうした歴史的景観を尊重してゆく価値観を町民たちの間に醸成してゆくことを行った。 こうした運動が効を奏して,特に行政の補助がなくとも町民の八割以上が歴史的景観と調和した家作りを望むようになったのであり、「八匠」の持つ伝統工法に根ざした建築技術がこの要望に応えていったのである。「八匠」はまた、地元の伝統工法が失われてしまわないように、この伝承を行ってゆくための後継者育成の活動も行っている。現在「八匠」には百人以上の職人が加盟して活動を行っている。 2007年からは富山市が「八尾地区まち並修景整備事業」を行っているが、「八匠」は行政と町民の中間に立って、この補助金修景事業が最も有効に作動すべく調整を行い、結果として美しい歴史的町並み景観を形成することに寄与している。

 「八匠」はこのように地元、土着の建築技術者集団が、歴史的町並み景観の保存、修景と両立する現代的生活空間の維持に関して、行政と住民との間の専門知識と伝統技術を駆使するコーディネーターとして良好に機能しているユニークな組織である。 八尾町の建築業「㈱石原建築」の会長である石原博氏は「八匠」発足時からのまとめ役で、優れた調整力と卓越したリーダーシップをもって運動を指導・推進し、「八匠」の組織を現在にまで育て上げた中心人物である。このように地域建築文化を守り振興する建築技術者集団を育成し、またその運動を成功に導いたことは日本建築学会文化賞にふさわしい業績である。

よって、ここに日本建築学会文化賞を贈るものである。

会員以外により,建築文化の向上,建築への理解と認識向上等に貢献した業績。

富山県富山市八尾町における伝統的な木造建築技術を生かした建築文化の振興と歴史的町並み修景貢献
石原 博 ((社)八匠 理事長、(株)石原建築 代表取締役会長)

update: 2010/07/06 , (0)

八尾の曳山祭・5月3日;祭の本番(早朝からはじまる祭)

5月3日 祭りの当日

長い間 一度は見たいと思っていたのが早朝の組み立て作業です。

今年初めて、早起きが実現しまして・・・。

 

午前3時 触れ太鼓が鳴り響きました。早速、音を追いかけてみると数人の男衆に担がれた太鼓が、西町通りを下りて行きます。この太鼓、遠くはなんと 八尾駅のあたりまで聞こえるのだそうですよ。お腹に響くような音です。

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触れの太鼓にもかかわらず、西町の公民館では、もうすでに活動が始まっていました。

みなさん、待ちきれない様子・・・。

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組み立ては時間がかかりそうなのでそのまま通り過ぎて、今町へ向かいます。公民館の灯りはついていますが、戸が閉められていて中は分かりません。曳山は通りにはなくて、山蔵の中にあるのかと思われます。

 

下新町はごめんなさい、ちょっと遠いので、東町に向かいました。

 

どこまで組み立てられているかはわかりませんが、シートでしっかりと覆われています。

昨日見た車輪も見ることができません。

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公民館には灯りがついて、履物が数人分見えています。なにやら会議中のような・・・・

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猫の子一匹いない真っ暗な通りを諏訪町へ。

諏訪社の境内に彫物を外した曳山があり、男衆たちによって公民館前へ曳き出されていくところでした。街灯をつけない暗い道を男たちが曳山を曳いていく、頭上には、あかるい月が出ていました。なかなかいい風情で、感動のアングルになるはずですが、撮影技術が全く無くて、悔しい限りです。

名残を惜しみつつ引き返して、次に向かったのは上新町でしたが、残念、曳山はシートに覆われていました。

平成22年5月3日の星が瞬く午前3時、早々と曳山の組み立て作業に動き出していたのは、諏訪町と西町でした。

 

組み立ての様子をじっくり見ていたいのですが、祭りの一日は永くて、ひとまず家に引き返し軽く仮眠をとらなくては・・・

そうそう、お赤飯も炊かなくては・・・

 

そうこうするうちに、早や、聞名寺に曳山が集合する時間です。

下新町は、去年が一番山でしたから今年は最後、つまり、聞名寺に一番早く入れなければなりません。

去年は今頃、下新町でその町の曳山と獅子を見ていましたが、今年は曳山の集合を見るぞ!

諏訪町の曳山が東町を、上新町が西町を下りてきて、六町内が聞名寺に揃ったところで、八幡社のお神輿が到着です。

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六町の壮年団長、警固頭、そして本部役員が、八幡社のお祓いを受け、安全を祈願します。

そして、八尾壮年団長の力強い開始のあいさつ!

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さあ、いよいよ、曳山の巡行開始です!!

 

警護頭の采配一振りで、山がゆっくりと動き始めました。今年の一番山は西町です。ふくよかな恵比寿様を乗せて、聞名寺の角を回ります。白足袋の若衆が声と息とをあわせて・・。

 

それぞれに特徴のある六町内の山は、初夏の風がそよぐ坂道を上ってゆきます。

明け方は寒かったのに、日中は暑くなりました!

日影を探してしまいます。<ゆすらうめ>

 

update: 2010/05/04 , (0)

八尾の曳山祭・5月2日;東町の曳山拝見

5月2日 なにもない日、前日の調曳きで不都合があったところを直す日です。

が、やっぱりフラフラと出かけてみました。

 

東町では、今年、車輪を新しくされました。まずは、それを見に!

去年は白木のままでしたが、今年は黒漆を塗って、飾り金具も元通り。見事な車輪になりました。

金具の模様は、大きな波に泳ぐ亀、その内側には正面を向いた かわいいうさぎ、初めてじっくりと拝見いたしました。

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  そのほか 各町の公民館では、役員や有志が、何かと細かな打ち合わせがある様子で、公民館を出たり入ったり・・・。<ゆすらうめ>

update: 2010/05/03 , (0)

八尾の曳山祭・5月1日;調曳(ちょうびき)

平成22年 今年のゴールデンウィークは 暦の上では5連休

1日だけ年休をとれば 7連休という人も多いでしょう。海外旅行にでも行きますか?

 

いいえ!!  八尾にいる限り それは無理(*^^*)  だって 大好きな曳山祭りが!!!

 

そうです  今年もやっぱり やってきましたこの季節!

 

今年はいつまでも寒くて・・・  おかげで 桜は 長いこと楽しめましたが 曳山祭りはどんなお天気になるのか とても心配でした・・・

 

しかし! どうですこの天気(^v^)

一気に 祭り気分に突入です

 

5月1日 調曳きの日であります。

去年のブログにも書きましたが、具合の悪いところがないか、試しに曳いてみる日です。

朝から、山の組み立てが始まりました。

この日は、朝9時から夕方の5時まで、旧町内では交通規制が敷かれ、車の乗り入れができません。

午前11時 フラフラと街中へ出かけてみました。

さすがに、観光客もなく、法被姿の男ばっかり↘ ちょっと かっこ悪くて近づけません。

あーあ 近くで見たいのになあ

 

曳山の屋根は二階建て住宅よりも高く、柱には遊びもあるので、作業中はゆらゆらと揺れています。そんな中、屋根の部分を、紐を使って締めています。たいへんな仕事ですが、なかなか楽しそうです。

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実際に 作業には加わらないおじさまたちも、もちろん法被を着て集まっています。

住宅の屋根を利用しての作業、脚立も見えてまさに工事現場のようです。<ゆすらうめ>

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update: 2010/05/01 , (0)

発見塾講座報告「野積探訪」2;平安のロマンへ

<野積探訪の続きです> 

野積地区の行き止まりらしいこの「猟師が原」というところ。

私は、もちろん初めて訪れた場所です。

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野積川水力電気株式会社が大正8年に建設を始めたということですが、野積の奥に発電所があるとは知りませんでした。

また、近くには索道跡があるとのこと。炭焼が行われていて、昭和10年には24万貫の産出量があったといいます。私の計算が合っていれば、現在の単位では約900トン、4tトラック225台分です。

たくさんの炭が道の険しい山中から索道で運び出されたということですね。索道は、ロープを空中に渡して物資等を輸送するものですから、猟師が原にはピッタリの交通手段だったのでしょう。

さらに、奥地では、製錬が行われていたという記録も見うけられるとか・・・。

炭は大切な燃料エネルギーだったということです。

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さて、お腹がすきましたね。

西川倉(にしかわくら)に最近オープンした「農っ歩(のっぽ)」というところで、お昼にしました。

野積谷から仁歩谷へ山越えする途中にあります。

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地元でとれた野菜を使った料理。

明るい建物です。

お土産に買っただんごがおいしい。

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最後の訪問地、青根の浄明寺さん。

「火難遁之御影(かなんのがれのごえい)」があるということで、お参りしに寄りました。

大きなりっぱなお寺です。

八尾町は、わりと火事の多かったところで、宝暦6年(1756年)640軒が焼ける大火がありました。その時に、不思議にも、木の枝に引っかかり焼け残っていたという蓮如聖人の肖像が、軸にされて安置されてありました。

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これにて、野積探訪の小旅行は終了しいったん解散ですが、自由参加で、紫野社の獅子頭を見に行きました。県内最古のもので、富山県指定文化財です。

獅子頭の裏には、野積の渡辺氏が1481年に奉納したことが墨書されています。

今回の野積探訪では、布谷、菖蒲田、西川倉、猟師が原、青根と廻りましたが、猟師が原で聞いたとても印象に残った講師の言葉を引用しておきます。

「昔の地図には、今はもうない地名がたくさん書かれている。小さな谷や沢のひとつひとつに全部名前が付いていた。そこが生活に必要だったからでしょう。」いかに多くの人が住み、物資の流通、交流が盛んであったかがわかります。

今では呼ばれる名前をなくしてしまった場所は、経済活動に直結したものではなくなりましたが、今も豊かな自然の恵みをふもとで暮らす私たちに与え続けてくれています。 <文;ゆすらうめ、写真;IT寅さん、ゆすらうめ>

update: 2009/06/15 , (0)

発見塾講座報告「野積み探訪」1;平安のロマンへ

6月6日 八尾町旧町から真南へ広がる野積地区を訪ねました。

野積四谷(のづみよたん)といわれ、歴史がたいへんに古いところであるということは、かねてから聞いていましたので、どんな話が聞けるか、ワクワクの小旅行です。

朝、9時には観光会館前に集合完了。応募者多数で、お断りするしかなかった方もたくさんおられたそうで、申し訳ありませんでした。

お天気に恵まれ、少し、汗ばむほどです。

開会のあいさつの後、それぞれ車に分乗して、いよいよ出発です。

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目的地への道すがら、農作業に精を出す人たちが、顔を上げて見送ってくださいます。車十数台も連ねて、いったい何事かと思われたのでしょう、ちょっと珍しい光景でしたね、たぶん。

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第一目的地、紫野社に到着。愛嬌のある狛犬が迎えてくれました。神社の屋根にはやはり梅鉢の紋。

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道から見上げる小高い森にあって、少し、肌寒くさえあります。

紫野社=しのしゃ と読みます。

むらさきの と 読む地名は全国に何か所かあるそうですが、しの と 読むのは、ここ野積と近くの乗峰(のりみね)というところ二か所しかないそうです。

この日の参加者のために、草刈りなどして待っていてくださったお二人、住本さん(写真の上段中央)と上野さん(右)。紫野社に伝わるお宝を見せてくださいました。

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「明治45年再筆(重要なことを書き写したということ)」と書いてある錠箱です。

文章の内容は、「建永二(1207年)九月二十四日 布谷・紫野社拝殿建立」建立した人は「三ツ松村五左衛門渡辺長綱」とあるそうです。

この内容が本当であれば、平安時代末期に野積谷にあって、紫野社を建立した渡辺長綱という方がかの有名な「渡辺綱」の子孫ではないかという平安ロマンが、ここに生まれてくるわけです。昔々の平安時代にすでに、野積谷で、八尾の祖先が生活していたなんて!!

渡辺綱は、平安時代の藤原氏全盛期・藤原道長の時代の人で、源頼光の四天王の筆頭であり、大江山の酒呑童子退治や、京都にある一条戻り橋で鬼の腕を切り落としたという武勇伝で有名です。 

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講師の宮本さん(左)             平安のロマンを証すお宝(明治に再筆)

紫野社の奥の社は、小ぶりながらも、見事な彫り物です。一見の価値あり!八尾曳山の彫刻と全く同じ図柄があると言われて、戻って確認してきました(下の右)。うん!確かに!

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紫野社を後に、渡辺家の家紋のある墓石、渡辺家屋敷跡、烏天狗の祠と見て回り、宮本講師の熱い語りは続きます。

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大切に守られている烏天狗の祠には二人というか・・二羽・・なんと数えるのでしょう・・それぞれに羽をひろげて、履物を履いている人、裸足の人。

烏天狗は、京都の鞍馬山で牛若丸に剣術を教えたといわれており、山岳修験者がモデルともいわれています。野積のこの烏天狗の木像が祀られたころは、自然の脅威が身近にあって信仰の対象になっていたのでしょう。どのような思いをこめて、お参りされていたのでしょうか。

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写真は、祠を興味しんしんで見つめる人の顔顔顔・・・。

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渡辺家開墾跡地といわれる菖蒲田まで足を伸ばしたところで、ひとまず、渡辺家を離れます。

野積地区の最奥、猟師ヶ原の発電所へ向かいました。

(次回へつづく)<文;ゆすらうめ、写真;ゆすらうめ・IT寅さん>

update: 2009/06/09 ,

曳山祭・男たちの神域 10──今年、注目したこと(4);警護

豪華絢爛、4トン以上もある曳山を動かす中心の男が警護頭(けいごがしら)。

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常に曳山の進行方向前方にいて、指示を出しています。この指示のもと、多くの曳き手が息を合わせて山を曳いていくのです。ですから、警護頭の責任とその重圧はたいへんなことと思います。どの町の警護頭も厳しい顔をしていますからねえ。

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坂道と曲がり角の多い八尾の町。特に曲がり角では「角廻し」といって、曳山の見せ場ともなるのですが、山を廻すきっかけを作るのが警護頭の大きな役目なのです。このタイミングが合わないと、極端な話、狭いところでは怪我人を出しかねないということですから、さぞかし緊張するでしょう。

p1080170.JPG 采配を振る警護頭。

写真は、最初に曳き出された提灯山の警護頭です。昼間、正式な運行だけで10か所以上の角廻しをしてきて、これからまた、急な坂道を上がっていくという時のものです。

自分の采配一振りが、大きな山を動かす。プレッシャーが大きいだけに、細い道にピタッと角廻しが決まった時、思うように山が動いたときは、どんなにか気持ちのいいことでしょうね。これこそが、警護の、八尾の男の本懐でしょうか。

p1080172.JPG 背中に八尾男児の誇りをしょって。

祭りは、受け継がれてきたものをただ眺めるだけじゃない、ましてや、飲んで騒ぐだけじゃあない。祭りを執り行う生き生きとした男たちを見ている時こそ、ほんとうに心から頼もしく誇らしくうれしい瞬間なのです。

そして、その男たちの陰には、しっかりと支えてくれる八尾の女たちがいることは、もちろん言うまでもないことです。

曳山祭りが終わって男たちは神域から、何もなかったような顔をして女子供のいる俗世間へ戻ってくるでしょう。間もなくやってくる夏の向こうに、秋風と共におわら風の盆が待っていますから。

風の盆が終わって、寒い冬を乗り越えると、また、神域へと帰っていく春がめぐってきます。

<ゆすらうめ>

update: 2009/05/11 , (0)

曳山祭・男たちの神域 8──今年、注目したこと(2)

今年注目したこと、その2=早朝の獅子。

曳山運行予定によると、祭りが始まる前、8時15分に聞名寺前で獅子舞いが奉納されます。

公表されている予定表に記載にはありませんが、実はその前には、下新町にある八尾八幡社で獅子舞いの奉納があるはず。神輿(みこし)を八幡社から聞名寺まで先導しなくてはなりませんから。

朝の7時前、下新町のさらに南の町・天満町で獅子の太鼓が聞こえるではありませんか。

カメラ片手に走っていくと、天満町にある公民館と天満宮で獅子舞いが行われていました。こんなに早い時間から、鏡町のみなさんご苦労さまです(獅子舞は鏡町の人たちが担っています)。子供たちは化粧をするために午前4時に起こされたとか。早朝のこととて、観光客もなし、町の人もまばらでした。

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 天満町のお宮前を行く、獅子舞を演じた鏡町の子供たち

現在、天満町には曳山がありません。けれども、こうして八幡社の祭礼とつながりがあるのだなと実感できた次第です。永いこと八尾に住んでいながら、初めて目にした光景でした。

天満町での獅子舞いを終えた鏡町の一行は、眼鏡橋を渡って(左下写真)、下新町の坂を上がっていきます(右下写真)。

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背には「鏡」と一文字染め抜かれていました。紺地に赤のその文字は、今日一日の祭りに懸けた想いを燃やす炎のようにも見え、胸が熱くなります。

八幡社に到着した一行は、道行の曲に乗って鳥居をくぐります。女の私が行けるのはここまで。

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中では一同打ち揃ってのお祓いをうけ獅子舞いが奉納されました。いよいよ祭りが始まります。

ちょうどそのころ、下新町の曳山が集合場所の聞名寺を目指して動き始めました。今年は一番山です。

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奉納を終えた鏡町一同も、神輿の露払いをしながら聞名寺に向って坂道を上がって行きました。下新町の公民館でお神酒をふるまわれて・・・。

町が祭礼によって、ほんとうに一体化しているんだなと実感できたことが、大きな収穫でした。<ゆすらうめ>

update: 2009/05/08 , (0)

曳山祭・男たちの神域 7──祭で今年、注目したこと(1)

祭りが終わって、八尾は初夏の気配。そして、そろそろ、おわらのことが頭の隅をよぎるようになるのですが、もう少し、祭りの余韻に浸っていたいと思います。

今年注目したこと=その1、祭り前日の様子。

今年、2日は仕事がお休みでした。そこで、あまりない機会なので、各町の公民館の様子を見たくなりました。

諏訪町です。知り合いの方に声をかけてもらい、写真を撮ることができました。

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神功皇后と、応神天皇を抱いた武内宿禰のご神像です。

ちょうどカンナを片手にして出てきた町の長老は、あちこちの不具合を直してきたとのこと。ご神像の胴体も作り直すほどの方ですから、曳山そのものがもう自分の分身みたいなものでしょうか。手塩にかけたかわいいかわいい曳山が、明日はご自宅前にも曳かれてきますよ。

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ご神像の前で、数人が神様のお相手、祭りの日を待ちながらとても楽しそうです。

上新町の公民館では、一部の法被を新しくしたとのこと。本祭りで見られるのが楽しみです。

西町の公民館では、2階の一部を取り外し、曳山が屋根の下に入るようになっていました。

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4月26日のブログの写真を見てください。あれがこんな風になってしまうのですよ。

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町の人が取り外されたらしいのですが、設計の段階からこだわりましたねえ!他の町の人も見学に訪れていました。祭りが終わったら私も見学したいな。今の時期はちょっと入れないけど・・。

今町では、公民館の中で、若い衆が何やら作成中。どうも采配を修理か作っている様子。

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小さな頃はハタキかと思っていたこの采配。祭りでは、曳山の運行に直結した極めて重要な役割を果たします。明日はお天気が持ちそうでと、ほんとうにうれしそうで、よかったよかった!

東町下新町ではお話を聞くことができませんでしたが、祭りを迎える独特の雰囲気は何処も同じ。ああ待ち遠しい。(次回につづく)<ゆすらうめ>

update: 2009/05/07 , (0)

 

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