7月文化・歴史塾参加報告・・・八尾の魅力には歴史の謎がある

【講師と略歴】
  講師:万葉かたかご研究者・八尾の歴史愛好家  小坂 武司 さん (富山市在住)
  略歴:北日本放送株式会社の報道制作局で勤務後、ケーブルテレビ八尾の番組制作教育担当ディレク ターを務める。八尾に係わる制作番組は歴史番組「八尾養蚕・和紙の歴史」、「商人が作った町八尾のルーツ」、「歴史の寺聞名寺」、「本法寺」、「おわらは歌垣唄だった」「八尾万葉があった」 等
             講師 小坂 武司 さん(講師の小坂武司さん)

【講座の印象】
 7月4日に開催されました講座「八尾町建てとおわらの誕生」には、町建てとおわらの係わりに絞られた講義を期待されて参加された方も多かったのではないでしょうか。実際、話の中で演題に密着した部分は、従来のおわら起源譚にはない八尾町成立の歴史的な状況を考察した内容で、興味深く納得がいくものでした。特に、人々に井田川流域を「八尾(やつお)」と呼ばせた「いにしえの力」が、町建てにせよ、おわらの誕生にせよ、語られることのない影響を八尾町に及ぼしていたことを認識できたことは、今回の講座の特筆すべき成果であったと思います。

7月講座の様子(ふらっと館会議室の講座の様子)

 反面、講師の小坂さんは、演題に密着する内容に割く時間が短くなったことで参加者に恐縮されていました。けれども、私には、そうなることに必然があったと思われました。たとえ、おわらの誕生を主題にする講座ではあっても、万葉集にまで遡り、「八尾」という固有名詞の成立過程と固有名詞「八尾」が秘める言霊的な影響力を説明することなくして、「八尾町建て」は勿論、講座の主題である「おわらの誕生」にまつわる疑問も明らかにすることは出来ないと講師が考えておられたように感じたのです。その意味で今回の講座は歴史事象を率直・素直に考察された結果として十分に筋立った内容でした。恐らく、大半の参加者にとっても、八尾にまつわるこの上なく興味深い歴史の疑問に触れ、大きな驚きと新鮮な関心を抱く機会になったと思います。
     戦国時代の八尾
       (戦国の勢力分布が町建てに影響した説明図)

【概要と感想】
 今回の講座にはキーワードが三つあったと理解しています。「大伴家持の八峯(やつお)」、「八尾町建て許可の謎」、「若者宿」です。これらを横糸に、そして商いで生きることを地盤としてきた八尾民衆の起業家であり文化を愛でる性格を縦糸として紡がれる日常生活から、ごく自然に、おわらが誕生する有様がまぶたに浮かんでくるのです。
 さて、奈良時代、大伴家持が井田川(古名 サキタガワ 咲田川/崎田川)を遡上した際の想いを詠んだとされる歌が万葉集に収められています。天平勝宝二年三月二日(西暦750年4月12日)から同年四月三日にかけて詠まれたものです。その複数首に杉原や八尾を表すであろう「椙野」や「八峯(やつお)」なる言葉が使われています。私はもっと多くの人々にこの事実を知ってほしいと考えます。「八峯」という言葉は山が連なる土地を表す一般名詞であったのですが、家持が残した八尾への想いを受け継ぐことができた人々がいつしか井田川流域を「八尾」と名付けたのでしょう。ふるさとの地名「八尾」には、いにしえ万葉時代に謳われた「言葉の力」が秘められ、ふるさとへの誉れを脈々と育んできたのではなかろうかと想像して気持ちが熱くなるのは私だけでしょうか。

              万葉集と八尾
                     (万葉集に詠まれた八尾)

 八尾町建てには、いくつもの謎があります。それがまた八尾の魅力を深めています。例えば、洪水で流された草高22石の八尾村とはいかなるものであったのか、八尾村がほぼ10倍の草高の桐山村を合併して八尾町を開く力はどこにあったのか、新たな町を開く場合藩から求められる新田開拓が強制されない異例の扱いを受けたのはなぜか、また謎の核心である町建ての許可状には、大身の奉行とはいえ、藩主や家老ではなく、一奉行津田勘兵衛の個人名だけが認められているのはどうしたことか等々です。

     八尾村の絵図
    (井田川の河っぷちの八尾村を示す古絵図)

          八尾村
              (桐山村の十分の一の広さの八尾村)

講師によるその理由の説明は首尾一貫しています。町建て以前の八尾が、飛騨などとの交易で当時既に相当の財力を持つ実質的な「町」として認知されており、町建てとは言うものの、その実相は追認措置にすぎなかったというものです。実際、幕府が開かれた直後、家康の元へ詣でた藩主前田利長が帰路わざわざ八尾に立ち寄った際に、自ら「八尾町」と述べており、その後、町建ての願い出を受けた時、藩主の意に従う追認で済んだからであると考えれば、謎のいくつかはすっきりします。実際、平安末期には、この地域で、国衙領であったと考えられる野積地域と都や飛騨との間に相当な交易があったということからも、納得できる推論だと思います。今後は、八尾村肝煎少兵衛が率いた八尾村の姿を多面的に研究することが面白いと強く感じました。権力中枢から離れて活躍した地方の民が実現しようとしたロマンであり、NHKの大河ドラマにできる内容かもしれません。

 私は、おわらの誕生はあくまでも八尾町建てによる「剰余」だったと考えています。江戸時代前期に商いの町八尾が急速に発展した時、町社会が呼び込んだエネルギー過剰な若者達の風俗現象をその起源として捉えれば、他の盆踊り民謡にはない、おわらだけに強く感じるある種の「社会情念」を理解することができると、講座を聴いていて考えるようになりました。おわらの起源を、町建ての許可状に結びつけたのは、若者宿と呼ばれる町への労働力を供給するしくみに取り込んだ彼ら労働者を、日向の晴れ舞台に引き出すことで、そのエネルギーの過剰を安全に放出させる支配層の方便であったと推察します。若者宿が歌垣のような風俗からおわらを培う拠点になったと考えることはとても自然です。この仮説を、検証する力を私は持っていませんが、みなさんはどのように考えられますか。
   若者宿の説明    
     (八尾の発展に携わった若者がおわらを誕生に深く関わったとの説明)

                                   (山毛欅林 記)

update: 2009/07/17 , (0)

居候しているミツバチ家族が「分家」しました!(その1)

 八尾周辺の里山は自然が豊かです。カタクリやギフチョウの他にもそれぞれの季節を賑わす動植物が沢山います。ニホンミツバチがそのひとつです。新聞などで、ミツバチ不足で困る果樹農家のことや銀座の養蜂が報じられていますが、今回は、雪の上で活動する逞しいミツバチ家族のその後についてお話しします。まずは陽春の五月に見られる「分蜂」についてです。
 今年4月29日は、霜注意報が出るくらいに冷え込んだ快晴の一日でした。太陽が高くなり気温が上がると、無数のミツバチが、その内側に巣を構えている南向きの板張り外壁付近を右往左往して飛び回り始めたのです。「日差しをさえぎるほど」という表現が大げさではない数です。
     分蜂で飛び回るミツバチ '09.4.29    巣のある外壁に群がるミツバチ
    (巣のある外壁近くを飛び回るミツバチ)  (外壁に群がる分蜂前のミツバチ)

 但し、人間界と違いミツバチの世界では年長の女王(母蜂)が郎党を引き連れて別居するそうです。娘である王女に大切なの巣と貯蜜を譲るのだそうです。君臨していた女王は新しい棲家を求めて、働き蜂の一部(とは言っても数千匹以上)と僅かの蜜や花粉を携えて古巣を後にすることになります。
 我が家のミツバチの場合、飛び出した群れは、まず近くの桃の木の幹に集まって蜂球(何千、何万匹のミツバチのかたまり)を作りました。昨年とまったく同じ行動です。私たちが何もしなければ、偵察蜂の情報に従って、次の住処にふさわしい場所へとあっという間に飛び去ります。

’09年4月29日に作った蜂球 昨年の分蜂の際に作った蜂球(同じ桃の木)
  (今年、4月29日に作った蜂球)         (昨年、同じ桃の木の蜂球)

 しかし、昨年の分蜂を知って、借家のオーナーが「欲」を起こしたのです。なぜかなつかしさを感じて心惹かれる「ニホンミツバチ」を飼ってみたいと思ったわけです。できれば少し蜜のお裾分けに預かりたいものだとの期待も・・・。わずかな予備知識をもとに、仮の宿とする巣箱を作りました。空になったリンゴ箱の壁面全てに断熱用の発砲スチロール板を挟み込んだ「超モダンなビーション」です。採蜜のことはほとんど考えていない代物ですが、とりあえず、仮の宿になればと作りました。

  自作のリンゴ箱利用の巣箱(前あき、全館断熱)     自作巣箱 全景  (リンゴ箱を利用した巣箱の自作)       (「超モダンなビーション」公開)

 そして、ミツバチが好みそうな場所に、ミツバチを誘う花(ポリジー)の鉢を置きました。ニホンミツバチが好む蘭「キンリョウヘン(金陵辺 Cymbidium floribundam)」も用意しました。今春は、まだ、両方とも花をつけていません。

   ケヤキの下に置いた自作巣箱         自作巣箱の巣門付近(蜜蝋と誘引花「ポリジー」)
  (環境満点の「ビーション」)  (巣門前、黄色い蜜蝋とポリジーは誘引のため)

 
 分蜂したその後については、続きでお伝えします。
                             (山毛欅林)

 

update: 2009/05/04 , (0)

4月自然塾 — カタクリ咲く里の山を楽しみました!

先週、4月11日土曜日の午後、角間カタクリの森に「春の妖精」を訪ねる4月自然塾を開催しました。今年で4回目になります。東京、高岡、魚津からの参加者もあり、総勢28名がわいわい歩く楽しい自然塾になりました。

               開会のあいさつ 
              (農村生活改善センターでの開塾)

 改善センターから車で2分、カタクリの森の入り口です。明るい里山の様子が間近に見られます。

この森は全て私有地です。地主さんや地区のみなさんの賛同と協力を得て、行政とともに里山の整備をすすめてきました。

俳句の同人誌「辛夷(こぶし)」の編集に携わった前田譜羅(まえだ・ふら)等が眺めた辛夷の巨木(植物生態学の専門家によると樹齢200年以上とのこと)からカタクリの森が始まります。

  角間の里山      角間神社前に立つ辛夷の大木
   (明るい角間の里山の森)    (角間カタクリの森の入り口に聳える辛夷の巨木)
 
 当塾専任で森の植物解説ボランティアをお願いしている角間さんが、参加者からの思いがけない質問にも笑顔で答えていただくことも4月自然塾の大きな魅力です。

             参加者の楽しい会話が聞こえますか
           (参加者の楽しい会話が聞こえますか)

 当日は、初夏のような陽光に汗ばむ天気でした。早春の花、カタクリには相当にこたえているようでしたが、日陰の多い北斜面では美しく咲き乱れる群落に迎えられました。

   カタクリ一輪      カタクリ 2輪
    (カタクリ一輪)             (二輪のカタクリ)

   北面のカタクリ群落   北斜面のカタクリ
                (カタクリの群落)

 今年は季節の気まぐれの影響が強く現れて、3月上旬には南斜面で開花が始まり、花の時期は2週間ほども早まったようです。例年は、5月近くに開花するチゴユリまで咲き始めました。

                 稚児百合
                (チゴユリ:カタクリが終わった林床を埋め尽くします)

 早春のこの森では、遊歩道に沿って、希少種のギフチョウとよく出会いますが、

        カンアオイの葉裏に生み付けられたギフチョウの卵
       (カンアオイの葉の裏に生み付けられたギフチョウの卵)

数万株に1株あるかないかと言われる白花カタクリや黄花のショウジョウバカマと遭遇する楽しみもあります。実際、前日に、この貴重な体験をされた感動とこの角間カタクリの森のすばらしさを伝えたいと参加されたKさんの笑顔から、森の整備に携わってきた私たちは何よりの励ましを感じました。写真は、当日の森で撮られた白花カタクリです。

               白花カタクリ
                 (大変 稀少な白花カタクリ )

 今回は、例年のほぼ逆周りに森の一部をめぐるようにコースをとったのですが、同じ森のイメージが随分と変わって感じられるから不思議です。湿原を右眼下に見ながら時計回りに新道を下り、湿原から「カタクリの坂道」を上って、新道との分岐点へ戻りました。

それから、今回始めて取り入れた、小学校の生徒さんが森の観察に使うという西の尾根道を経て、カタクリが群落する急な坂道を降りて城ヶ山に至る車道へ出ました。道が乾いており、安心してカタクリの道を楽しんでいただけたと思います。

   新道  湿原への道
      (新しく開かれた道)       (右側の湿原を迂回します)

 この森には、カタクリと同じ時期に開花するシュンランが多いのも嬉しいことです。
 遊歩道沿いでもシュンランを見つけることが出来ます。

   シュンランを見つけた   シュンラン
   (シュンランを見つけました!)        (慎ましく可愛いシュンラン)

 角間集落に連なる八尾の村々には、カタクリが大きな群落をつくる広葉樹の森が広がっています。旧野積村へと続く写真の小径も、カタクリの自生に叶った場なのでしょう。私たちは、この道ではなくカタクリが咲く急斜面の道を降りて、城ヶ山へと向かいました。

       山奥へと続くカタクリの道   急な坂道のカタクリ
   (奥山へどこまでも続くカタクリの小径)   (カタクリの急な坂道)

   急坂に咲くカタクリ    カタクリの森めぐりもそろそろ終わり
          (足下のカタクリに気を遣いながら慎重に下ります)

 その後、櫻に包まれた城ヶ山公園を訪ねました。枯れ枝を踏む音が伝わる静かな森から遠くもない公園は好天に誘われた花見の人々の楽しげな会話で賑わっていました。

公園管理事務所から階段を上がり、二番城ヶ山、一番城ヶ山を巡り、高浜虚子の句碑「提灯に落下の風の見ゆる哉」の前で解散しました。ベールのように広がる櫻の花園を足下に楽しみながら駐車場へと下りました。途中、展望台の北東斜面にカタクリが自然群落を成していることに気付きました。

             城ヶ山から角間の森を展望する
             (城ヶ山から角間の里山を展望)

     城ヶ山のカタクリ      花のベールをまとう城ヶ山
     (城ヶ山のカタクリ群落)       (櫻のベールをかぶった城ヶ山)

                                  (山毛欅林)
 

update: 2009/04/16 , (0)

2009年3月自然塾 ー 竹チップづくり ー

 竹チップづくりを目的とした3月自然塾を、平日の19日(木)と祝日の20日(金)に開催し、所定の作業を終了しました。
 19日は、平日にも拘わらず、東京と高岡から若いボランティアーに参加していただきました。大変に心強く思いました。ありがとうございました。
 作業を始めて1時間ほど経ったとき、いじめたわけでもないのに、チッパーの「元気」がなくなり、「もう竹はいやだ」と食い込まなくなったのです。しかし、リース会社から点検に駆けつけていただくや、気分を直してくれました。粒度バブルが調整されていなかったことが原因でした。
      チッパーの操作部
(元気が無く、しばし休憩したチッパー)      (チッパーの操作部分)

 前回までのチッピングと違い、随分さらさらした竹粉末ができることが不思議だった訳です。この微粉末の堆肥はうまい米作りにもてもてなのだそうです。再開までの暫時、ティータイムをとり、ボランティアーの方々とふるさとづくり等のコミュニケーションを楽しみました。
 その後は、春爛漫の暑さを感じるくらいの好天に恵まれ作業がはかどりました。
 (これ以上の春を感じますか) 満開の紅梅
     (満開の薄紅梅・・・これ以上の春を感じますか)
 
 延べ7日間を掛けて伐倒し積み上げておいた竹があっと言う間にチップに変わります。
チッピングするボランティアー    チップの山とボランティアーの女性 
(快晴の下、少人数で能率良く進むチッピング) (どんどん高くなるチップの山ー背後)

予定よりも早く所定部分のチッピングを終えたので、角間カタクリの森の様子を見に行きました。気まぐれな冬将軍も想定しなかった、早すぎる「夏日の出現」に急かされたのか、ショウジョウバカマは森の中のいたる所で花開き、南向きの斜面のカタクリも既に咲き始めました。
    ショウジョウバカマ
    (杉葉の中のショウジョウバカマ)

       ショウジョウバカマ      カタクリとスミレ
    (端正な姿のショウジョウバカマ)      (カタクリと白花スミレ)

     南斜面のカタクリ 
       (南斜面のカタクリ)

平年よりも10日は早いように思います。しかし、心なしか、カタクリは花の密度が少ないように感じます。積雪の少なさが影響しているのでしょうか。森の中でギフチョウと出会いましたが、気温が高く敏捷で写真に撮ることはできませんでした。       (山毛欅林)

update: 2009/03/20 , (0)

気まぐれな冬

 きさらぎ ふぅ さんの「ふぅのおと」に綴られたように
 陽春と思いこんでしまうほどに明るい日差しを楽しんだのもつかの間、雪景色が舞戻った。

  2月 雪景色   雪を飾る欅の枝の下から
  (光輝く新雪は温かくすら見える)       (純白と紺青のはざま)

       裏の欅        雪の重みに耐える竹藪
   (この景色はお気に入りのひとつ)   (痩せ竹や 負けるな春は そこにあり)

この冬ほど腰が据わらない冬はあったろうか。自然の統治者としての「無責任さ」には困ったものである。どこかの国の首相のようだ。春と冬の交代劇を見定めて動く野の生物にとってはなはだ迷惑なことであろう。度々行方を眩ましては、季節を誤魔化して開花を誘う。しかも、不意を突く冷たい真綿でその花の春を覆ってしまう。

   2月に咲いたイチリンソウ     雪の襲来を受けて縮こまる一輪草
 (イチリンソウが2月中旬に咲くなんて!?)  (戻り雪に身を縮めるイチリンソウ)

   蕗の薹の花      再び雪を被った蕗の薹
(気まぐれな気候、それでも美しく開花しました) (気まぐれな冬には負ないでほしい)   

何と罪づくりで気まぐれな自然であることか!。これが複雑な自然の本性かも知れないが、個人的には雪がしっかりと降り積もる冬が好きだ。
 
 ところで、我が家の外壁の隙間に、十数年前から日本ミツバチが居候しているが、彼らは、気まぐれな気候もなんのその、冬が行方を眩ましている間はチャンスとばかり、餌を集めに飛び立っていく。日差しさえあれば、雪の上でも平ちゃらのようである。

           雪の上で休む日本ミツバチ 
     (さすがに「働き者」の代名詞になる生き物だ。この逞しさには心から敬服する)

                                   〈山毛欅林〉

update: 2009/02/19 , (0)

節分の蕗の薹

 雪が少なく日差しにも恵まれる近年の冬は、小さな野草に訪れるせっかちな春を見つけて驚くことが多い。今年は、オオイヌノフグリやグンバイナズナなどが1月下旬に花を着けただけでない。信じがたいことに、目の前で、美しい蝶が真冬の陽光に舞い上がり、丸太の端でしばらくの間休んだ。蝶図鑑によると「ルリタテハ」のようである。
丸太に休む冬の蝶     飛び立とうとする冬の蝶
南向きの薪小屋で冬ごもりをしていたのだろうか。この思いもかけない出来事から「春近し」を感じる余裕は微塵もなく、雪が降ったらどうなるのだろうかと飛び去った蝶や小さな花を心配する出会いであった。やはり、「地球温暖化」の仕業なのだろうか。
       オオイヌノフグリ 2月はじめ      グンバイナズナ

 ところが、「山菜」となるとなぜかこのように愛おしい気持ちが湧いてこない場合が多い。早速と雪が消えかけた冬枯れの斜面に顔をのぞかせる蕗の薹に出会った時、躊躇することなく里山の恵みを頂くように身体がプログラムされているようだ。
 雪が解けて顔を覗かせた蕗の薹     落ち葉から顔を覗かせる蕗の薹            開花した蕗の薹     わさびの葉と並んで開いた蕗の薹

 まだ社会が貧しかった少年時代、食事の糧になる山菜採りは日常であった。けれど、昭和30年代前半、節分の頃は1年で最も寒く、身の丈以上の雪が普通にあったものだ。雪遊びは出来ても、蕗の薹摘みをした記憶は全くない。節分の蕗の薹は、春分の頃のものに比べると身が堅く、天ぷらで食するには口当たりが今一である。その若々しい香りに魅せられ、蕗の薹味噌にして味合うことが最高である。それぞれの家庭秘伝の合わせ味噌で清々しい春の香りとほろ苦さを包み込んで、熱々のご飯に添えて食べれば至上の味わいである。ささやかではあるが、山里にすむ者の幸せを感じるひとときである。
    蕗の薹と合わせ味噌を混ぜる      蕗の薹味噌   

update: 2009/02/10 , (0)

冬の雀

立春が過ぎ、この冬も先が見えてきた。しかし、野性の生き物にとって、雪の少ない暖冬とは言え、飢えを凌ぐ日々はまだまだ続く。
     雪の不動明王の祠       祠と我が家の雪景色    
 雪が降り積もる朝、もらった古々米を雪の当たりにくい屋根下に撒いている。多いときには、三百羽近くの雀が集まる。こんな時ばかりは、雀が絶滅危惧種だなんてとても信じられない。
    むくげの木に集まった雀    食餌中の雀
最近では、道路を挟んだ生け垣に並んで、視線を一斉に我が家に向けてお米頂戴の「団体行動」をする。ヒッチコックの「鳥」の中の視線は不気味であったが、雀達の場合は微笑ましい。
                生け垣に集まる雀
雀集団では、ひよどりやカラスと違い、米を独り占めするボスの存在を見たことがない。どのように小さく、ひ弱な一羽でも餌を待たされる様子はない。雀族ほど和の生き方を実践している生き物はいないのではないかとすらと考えてしまう。それに引き替え、人間社会になんと理不尽な争いが多いことかと情けなくなる。
 実際、雀の動きを見ていると、小さな群れがお互いに「有用な情報」を分け合っていることを確信する。米を持った私から見える範囲にいたのがたった一羽の雀であっても、たちどころに、あちこちから「仲間」が何十羽も集まる。しかも、その飛び方たるや、普段見る雀のそれではない。天かける燕のごとく、家々の隙間や屋根下をかいくぐってミサイルのように正確に飛来する。雀の生存環境は激変し、その影響を大きく被っているようではある。しかし、このように「協働して生活防衛」をする賢さを持った種が簡単に滅びるとは信じたくはない。

 

update: 2009/02/07 , (0)

自然塾 桐谷に紅葉をもとめて ・・・ それぞれの印象・連載1

 11月15日、間もなく初雪が来るであろう桐谷の里で今年最後の自然塾を開催しました。
 
 当日は、晴れ男を自認する者が案内役の山口武雄さんの他に2名もいて、悪天の到来を1日先に延ばしてしまったようでした。晩秋の心許ない陽差しのなかで褪せた感じがする紅葉の峰々ながめながら、気持ちよく山里の秋を楽しむことができました。
 ふるさとを限りなく慈しみ住みやすいふるさとづくりに尽力される山口さんの言葉に、参加者から幾つもの質問や意見が寄せられ、時間の経過を忘れるほどに楽しく意義深い自然塾になりました。当日は次のような順で各地を訪ねました。

 (1)桐谷公民館前 ・・・ 開講のあいさつ:9時半
 (2)小井波地区  ・・・ ①八幡社のふかん堂、②猿丸太夫塚 ③ザゼンソウの自生地 
               ④五輪塔 ⑤ミズバショウ群生地 
 (3)桐谷地区   ・・・ ⑥海韻館近くの四阿 ⑦久婦須川ダム周遊道路                      
               ⑧ガット出の水 ⑨家具工房中村製作所 ”bue-due ”  
               ⑩古川通泰さんのアトリエ
 (4)古川さんのアトリエ前 ・・・ 閉講のあいさつ:14時過ぎ

 ブログでは、何人かの参加者にそれぞれの印象を連載形式で話していただきます。 
 連載は訪問地順ではありませんが、連載全体から桐谷地区の魅力が少しでも伝わればいいなあと思っています。まずは、私、山毛欅林が露払いです。

〈 桐谷公民館前で開講のあいさつ:9時半 〉
    開講のあいさつ
     (和やかな開講式 ・・・ 桐谷公民館前)

社会体育館から卯花公民館横を通り、本法寺橋を渡って、桐谷公民館までは20分強のドライブです。そこで、「後期高齢者」というには失礼なほど若々しく、笑顔が魅力的な山口さんと高岡市から移住された片山さんと合流し、開講のあいさつもほどほどに、小井波へと出かけました。
     案内役の山口武雄さん
      (青年のような情熱が全身から溢れる山口武雄さん)
 
〈 小井波地区のザゼンソウ自生地とミズバショウ群生地を訪ねて 〉
無菌豚飼育会社シムコの車庫と道路を挟んで、南の方へ林の中を数分行ったところにザゼンソウが自生する湿原があります。訪ねる人もいないこの季節、木道は深い草で覆われているはずですが、山口さんは自然塾のために事前に草刈りをされていたのです。ここにはミズバショウも育っているそうです。ミズナラ等が芽吹き始める頃、黒紫色のザゼンソウと真っ白のミズバショウが競い合って花開くこの湿原をぜひ訪ねたいものだと思います。

   ザゼンソウの写真       ミズバショウの写真
(両者は確かに近縁種でともにサトイモ科の植物です。しかし、生態的な違いは花の色だけではないそうです。一方は、北米でスカンクキャベツーskunk cabbageーと呼ばれる程の強烈な匂いがあるそうです。かぎ分けてみることは薦めませんが、好奇心がそっそられます。写真は、ホームページ「NaO2さんの百花稜乱」から拝借しました。)
    
         ザゼンソウが自生する湿原

今でこそ、ミズバショウの群生地としてここ小井波は県内外によくに知られるようになりましたが、ミズバショウを育てるプロジェクトに係わられた八尾町教育委員会や地域住民の長年にわたるボランティア活動の賜物なのです。
       ミズバショウの増殖地
 
なお、⑦⑧と⑨⑩については、次回以降で連載します。<山毛欅林>

update: 2008/11/25 , (0)

角間カタクリの森 秋物語り(4)

この秋3回目、角間カタクリの森に係わるボランティア活動を11月5日(水)に実施しました。天が味方するかのように晴れ上がった日になりました。野外のボランティア活動には最高の支援です。立山連峰が新雪に輝いていました。
    竹林から見る11月5日の立山連峰
     (天の助け、野外作業にとって絶好の晴天・・・山が輝く)

 予定外のボランティア活動を実施したのは、先月18日に行った伐倒竹の整理と竹チップづくりの作業が予定通りにいかなかったためです。作業量を見積もれなかったことがその理由です。それでも、全ての作業が当塾にとって初めての経験であることを考慮すれば、18日の作業に参加されたボランティアの皆さんは、私を含めて実によく健闘したと思います。
    18日前の竹林     伐倒竹の様子
    (チッピングして整理する10月18日前、斜面に倒れ積み重なった伐倒竹)

       整理が進んだ竹林
      (残った伐倒竹を引きずり下ろし、枯竹を伐り倒してさっぱりした斜面をみる)   

現場は城ヶ山公園に隣接する角間地内の急斜面です。斜面に残った抜刀竹や枯れ竹が、雪によって斜面下方の畑地に崩れ落ちることを防ぐために、チッパーの借用が可能な作業日程を急遽組んだわけです。そのためにボランティア活動は平日になりました。
しかし、発見塾の運営委員3名の他に、一般のボランティア5名の参加がありました。
 チッピング作業1
 (平日のボランティアは少人数)

          チッピング作業2
       (ようやく作業の終了に見通しが持てた時は、疲労と埃が全身を覆いました)

 今回のボランティアは、当塾が富山県の森づくりサポートセンターに要請した「森づくり塾出張講座」の形で実施されることになりました。このことについては、北日本新聞11月6日(木)の朝刊に紹介されています。
          11月6日 北日本新聞朝刊
 ある程度要領をつかんだ上での2回目の作業であり、サポートセンターの皆さんの実技指導もあり、朝十時に始めた作業は、途中で豚汁とおにぎりの昼食を挟んで4時過ぎに無事終了しました。

 整備した部分と未整備の部分を対比すれば、違いは一目瞭然です。
 次年度の継続活動で、城ヶ山公園に通じる竹林内の尾根道が再開通することを楽しみにしたいものです。その時は、もっと多くの人がボランティアに参加されることを期待しています。
                                  (山毛欅林)

update: 2008/11/09 , (0)

角間カタクリの森 秋物語(3)

 先日10月25日(土)に、2008秋角間カタクリの森 自然塾と里山整備ボランティア事業を開催しました。前日まで危ぶまれていた天候はこの日のために急回復、参加者の日頃の行いを反映して、秋らしい絶好の日和に恵まれました。竹チップの絨毯が敷かれた森の小径は、歩きやすく明るくなりました。
竹チップを撒いて均した角間カタクリの森の小径
(明るくクッションも効いた竹チップを撒いた角間カタクリの森の小径)

 21名の参加者のみなさんお疲れ様でした。親子での参加、高岡や魚津という遠方からの参加には正直うれしかったです。これからも、自然塾を楽しみにきて下さい。
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  (竹チップを均すNさん親子・・中学生の息子さんは熱心に働き、汗をかいていました)

この事業が県民に認められ、受け入れられ始めたことの表れだと思います。ただ、今回は、八尾小学校の登校日と重なり、森の未来を託す子どもたちに参加してもらえませんでした。次回からは、小学校の行事なども参考にして事業の日程を決めたいものです。
 さて、当日は、朝9時に農村環境改善センターで開会式をした後、角間の森の現場に移動しました。9時40分頃から、竹チップを厚さ10cmくらいに均す作業と下草刈りを同時進行しました。
竹チップ均し 1下草刈りとチップ均し
            (一生懸命にチップを均すボランティアの人々)

ところが、先週の竹チップ作りで味わった苦労は何だったのかと言いたいほどに、速やかにチップ均しが進んだのです。作るのに6時間、均すのに30分強!!。 チップ均しを幼児や児童の仕事と予定した時間計画はもろく崩れ、全てが1時間以上早廻ることになりました。大変なのは、お昼の芋煮担当者のみなさんでした。1時間以上早めて仕上げに取りかかってもらいました。
この間、参加者は、春の自然塾で菌コマを打ち込んだ木(ほだ木)の周りに集まり、当塾きっての「生き物解説者」角間さんからキノコについて解説を聴きました。残念ながら、ほだ木に打ち込んだキノコの菌はまだ目を覚ましておらず、キノコの姿はほだ木の表面には見当たりませんでした。
           ほだ木を眺める参加者
         (キノコがないかほだ木の表面を探す参加者)

やむなく、角間さんが、持参した栽培シイタケをほだ木にはり付けて、未来のシイタケを想像させるおかしさにあたりは笑いに包まれました。気持ちが和やんだボランティア付き自然塾でした。
      角間さんのキノコの説明
      (当塾の生き物専門家 角間さんによるキノコの説明)

その後は、小1時間、キノコ探しなどで森の秋を楽しみながら角間かたくりの森を周遊しました。
  木のうろの中に出来たキノコ(シメジの仲間か)
         (むろの中に出来たキノコ・・・シメジ?)

ボランティアのひとりとして参加されたYさん、さすがに地元集落の人とあって、天然ナメコとモタセを採取して戻られました。
        採取した天然キノコを持つ山本さん
        (天然キノコ:モタセを持つYさん)
     

 この後は、用意した自作の竹椀で、山形名物の芋煮の八尾バージョンに舌鼓を打ちながら、参加者同士が談笑する様子があちこちで見られました。
       竹椀と芋煮
        (竹椀の芋煮・・・芋煮には牛肉です)        

解散した時刻は12時、予定よりも2時間早い時刻でした。

update: 2008/10/29 , (0)

 

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